無力感を作っているのは、たぶんあなたです——「前例がない」「予算がない」の累積効果

連載「どうせ無理」をほぐす 第2回

前回、こう書いて終わりました。
「どうせ無理」という空気は、現場の性格の問題ではなく、組織が長い時間をかけて作り上げた学習の産物である。では、誰が作ったのか。
答えを先に書きます。
たぶん、あなたです。
院長も、事務長も、悪意を持って現場のやる気を削いだ覚えはないはずです。ぼくもそう思います。それでもこの結論になるのはなぜか。今回はその話をします。
正直に言うと、あまり気持ちのいい記事にはなりません。それでも第3回で「じゃあどうするか」に必ず入りますので、もう少しだけお付き合いください。
「前例がない」「予算がない」は、それ自体は正しい
まず、誤解のないように書いておきます。
現場からの提案を却下すること自体は、悪ではありません。
経営資源は有限です。人も金も時間も足りない。上がってきた提案の全部を通していたら、病院はもちません。「今は予算がない」「前にやって失敗している」「その順番ではない」——どれも、経営判断として正当でありうる。
ぼくが問題にしているのは、一件一件の判断ではないんです。その積み重なり方です。
師長が業務フローの見直しを提案した。予算がなくて見送りになった。翌年、別の提案をした。本部方針と合わずに保留になった。その次の年、また別の話を持っていった。今度は「時期尚早」と言われた。
3回です。たった3回。
4年目、その師長は何をするでしょうか。
提案を、しなくなります。
そして経営側はこう言うんですよね。「うちの師長は現場から意見を上げてこない」と。
無力感は「植えつける」ものではない——理論のどんでん返し
ここで、少し理論の話をさせてください。この分野には、けっこう衝撃的な学説の転換があります。
「学習性無力感」という言葉を聞いたことがあると思います。マーティン・セリグマンが1960年代に提唱したもので、自分が何をしても状況が変わらない経験を繰り返すと、やがて動かなくなるという現象です。当初の説明はこうでした。動物も人も「自分の行動と結果は無関係だ」と学習してしまい、その学習が行動を止める、と。
ところが2016年、セリグマン本人が共著論文で、「当初の理論は逆だった」と述べています(Maier & Seligman, Psychological Review)。50年分の神経科学の知見を踏まえた見直しです。
何が逆だったのか。
受動性は、学習されるものではなかった。
長く続く苦痛に対して動かなくなるのは、生き物のデフォルトの反応だった。学習によって後から獲得されるのは、むしろ反対側——「自分は状況をコントロールできる」という感覚のほうだったんです。
この違い、実務的にはかなり大きいと思っています。
もし無力感が「植えつけられる」ものなら、管理職の罪は「余計なことをした」ことになります。ひどい言い方をした、頭ごなしに否定した、というような。
でも実際は逆です。無力感は、放っておけばそうなる。 管理職がやってしまっているのは、余計なことをしたことではなく、「自分たちで状況を動かせた」という経験を供給しそこねたことなんですよね。
つまり、これは不作為でも成立するんです。
怒鳴っていない。理不尽な要求もしていない。ハラスメントの心当たりもない。それでも、現場が「自分の働きかけで何かが変わった」という経験を数年積めていないなら、無力感は勝手に育ちます。
心当たり、ありませんか。
却下よりも、たちが悪いもの
もうひとつ、経営側からは見えにくい話をします。
現場の提案が消えるパターンには、大きく2つあります。
ひとつは、却下される。理由を告げられて、通らないと分かる。これはまだいいんです。少なくとも、自分の提案がどこまで行って、なぜ止まったのかが分かる。次に活かせる。
もうひとつは、返事がないまま消える。
会議で話は聞いてもらえた。「検討します」と言われた。そして、何もない。次の会議でも触れられない。3か月経って、誰も覚えていない。
これ、却下よりはるかに破壊的です。
理由はシンプルで、学習の材料が何も残らないからです。却下なら「予算が理由なら、次は予算の要らない形にしよう」と考えられる。でも消えた場合、現場に残るのは**「言っても、どこかで消える」という一般化された結論**だけなんですよね。
しかも厄介なのは、これが上げる側の悪意ゼロで起こることです。忙しかった。優先順位が下がった。上に相談したまま止まっている。誰も悪くない。でも、現場から見える景色は「無視された」と変わりません。
あなたの病院で、直近3か月に現場から上がってきた提案。それぞれ、いつ、誰が、どんな理由で結論を返しましたか。
沈黙を、改善だと思っていませんか
ここで、医療現場を対象にした古典的な研究を紹介します。
エイミー・エドモンドソンが1996年に発表した、投薬エラーの研究です(Journal of Applied Behavioral Science)。2つの病院の看護チームを対象に、「どのチームでエラーが多いか」を調べました。
当初の仮説は素直なものでした。チームの状態が良いほど、エラーは少ないだろう。
結果は、逆でした。
師長のリーダーシップ、チーム内の関係の質、メンバーの評価——こうした指標が良好なチームほど、報告される投薬エラーが多かったんです。
一瞬、意味が分かりませんよね。ぼくも初めて読んだときはそうでした。
答えは、こういうことです。測っていたのは「エラーの発生数」ではなく、「エラーの報告数」だった。
関係が良いチームでは、間違いを口に出せる。だから記録に残る。関係が悪いチームでは、間違いは隠される。だから記録には現れない。数字の上では、後者のほうが優秀に見える。
エドモンドソンはこの発見から「心理的安全性」という概念にたどり着きました。その後の研究の蓄積は相当なもので、2017年のメタ分析では136の独立標本・2万2千人以上のデータが統合されています(Frazier et al., Personnel Psychology)。学習行動、情報共有、組織へのコミットメントとの関連が、一貫して確認されています。
さて、あなたの病院ではどうでしょうか。
インシデント報告が減っている病棟を、優秀だと評価していませんか。
会議で反論が出ない部署を、まとまっていると思っていませんか。
「特に問題ありません」という月次報告が続く部門を、安定していると読んでいませんか。
そのどれも、言えなくなっているだけかもしれない。そして言えなくなった原因は、たぶん、突発的な事件ではなく、数年分の、雑に扱われた提案の積み重ねです。
それでも、却下しなければならない日は来る
念のため、もう一度書いておきます。すべての提案を通せ、と言っているのではありません。それは無責任ですし、経営が成り立ちません。
問題は却下することではなく、却下の仕方です。ぼくが現場を見ていて、差が出ると感じるのは3点だけです。
理由を言うこと。 「今回は見送り」ではなく「今年度は設備投資枠を◯◯に充てているので、この案は来期の検討対象にする」。同じ却下でも、後者は次の行動につながります。
期限を切ること。 「検討します」は、期限がなければ却下と同じです。むしろ悪い。いつ、誰が結論を出すのかを、その場で決める。
記録すること。 上がってきた提案と、その処理を、どこかに残す。残っていない提案は、現場から見れば存在しなかったのと同じです。
どれも当たり前に見えますよね。でも、当たり前だからこそ、できていない病院が多いんです。
今週、やってみてほしいこと
前回に続いて、宿題をひとつ。今回は15分では終わらないかもしれません。
直近3か月に、現場から上がってきた提案を、書き出してください。
書式は問いません。思い出せるだけで構いません。ただし、それぞれについて次の4つを埋めてください。
- 誰が、いつ、何を提案したか
- 誰が判断したか
- 結論は何だったか
- その結論を、いつ、誰が、どんな言葉で本人に伝えたか
やってみると、たぶん4番目で手が止まります。あるいは、そもそも1件も書き出せないかもしれません。
書き出せないこと自体が、答えです。
現場からの提案が3か月でゼロなら、それは提案する人がいない病院ではありません。提案しても意味がないと学習し終えた病院です。
そして、ここまでが診断です。次回から、治療の話をします。
構造的な制約は本当にあります。それは第1回で確認したとおりです。その上で、それでも動かせる領域がどこにあるのか。 どうやってそれを見つけ、最初の一勝をどこで取りにいくのか。
次回、そこから始めます。
次回:「それでも動く領域はある——構造制約下で『勝てる場所』の見極め方」
参考文献
学習性無力感
- Seligman, M. E. P., & Maier, S. F. (1967). Failure to escape traumatic shock. Journal of Experimental Psychology, 74(1), 1-9. https://doi.org/10.1037/h0024514
- Maier, S. F., & Seligman, M. E. P. (2016). Learned Helplessness at Fifty: Insights From Neuroscience. Psychological Review, 123(4), 349-367. https://doi.org/10.1037/rev0000033
心理的安全性
- Edmondson, A. C. (1996). Learning From Mistakes Is Easier Said Than Done: Group and Organizational Influences on the Detection and Correction of Human Error. The Journal of Applied Behavioral Science, 32(1), 5-28. https://doi.org/10.1177/0021886396321001
- Frazier, M. L., Fainshmidt, S., Klinger, R. L., Pezeshkan, A., & Vracheva, V. (2017). Psychological Safety: A Meta-Analytic Review and Extension. Personnel Psychology, 70(1), 113-165. https://doi.org/10.1111/peps.12183
