夢が教えてくれた「もうひとりの自分」との再会 | 40代からの人生振り返り論


夢を見た。
中学時代の同級生たちと、どこかにいる。
どこかはわからない。全員かどうかもわからない。 周りはモヤがかかったように不鮮明で。
でも、みんな、すごく楽しそうにしている。 笑って、騒いで。
そんな光景を、ぼくは少し遠くから眺めていた。
自分も笑っているのかな?
よくわからないまま、「これは夢かな」と考え始めたところで、目が覚めた。
…やっぱり、夢だったか。
問題はその後です。 目が覚めてからも、なんとも言えない感覚がずっと残っていた。
懐かしさ、というより、どこか胸をつくような感じ。
「こいつらとは、もう会えないのかな。」 「このまま2度と会えないまま、人生が終わるのかな。」
なんでそんなことを考えるんだろう。 40歳を過ぎて、家庭を持ち、4人の子どもにも恵まれて、仕事にも邁進している。 傍から見れば、まずまずの人生のはずなのに。
でも、その問いが頭から離れなかったんです。
「夢の中の自分」は、なにを語っていたのか
これ、実はAIと一緒に解釈してみたんです。
ちょっと恥ずかしいんですが、思い切ってClaudeに夢の内容をそのまま打ち込んでみました。笑
すると、こんな返事が来たんです。
「みんなの輪の中にいるのに、少し離れた場所から眺めている。これは夢が作り出した虚構ではなく、今の山本さんが日常的に感じているなにかを、映し出しているんじゃないか」
…え、なんで知ってるんですか、という感じでした。涙
「参加しているようで、どこか外側にいる感覚」。
これ、正直に言います、心当たりがあるんですよね。
コンサルタントとして病院の経営に関わる日々。 以前の薬剤師とは全く違う立場。子育て。ブログ。 いろんな役割を持ちながら、どこかで、どこにも完全に属していない感覚。
夢がそれをそのまま映し出していたのかもしれないと思うと、少しゾワッとしました。
あなたにも、「輪の中にいるのに、なんか外から見ている自分」に気づくことってありませんか?
「もう会えない」の正体は、実は「あの頃の自分」への問いだった
同じくClaudeが指摘したことで、もっと刺さった言葉がありました。
「もう会えないまま人生が終わるのかな、という問いの本質は、あの頃の自分にはもう会えないのかな、という問いと同じ構造かもしれない」
…これ、読んだ瞬間に「あ」ってなったんですよ。
ぼくは、40歳を過ぎてから、薬剤師からコンサルタントに転職しました。 エージェント全員に「難しい」と言われたにもかかわらず、自分で115社に応募して、114社に落ちて、最後の1社に拾ってもらいました。涙
そのとき、怖くなかったか?と言われたら、嘘になります。
正直に書きます。 怖かったです。 当たり前のように生きてきた「薬剤師の自分」を手放すのが怖かった。
でも、もっと怖かったのは。
このまま何も変えずに、「あの頃の自分が夢見ていた何か」に一生たどり着けないまま終わることだったんです。
それと同じことが、あの夢の中にあったのかもしれない。
中学時代の同級生たちと過ごしたあの空気。 何者でもなく、何も持たず、でも妙に自由だったあの感覚。
あの頃の、何かを恐れていなかった自分自身に、もう一度会いたかったのかもしれない。
あなたは、「あの頃の自分」に会いたいと思ったことはありますか?
人生の折り返し地点とは、「棚卸し」のタイミングだと思う
40代になってから、こういうことをよく考えるようになりました。
薬剤師として15年以上働いてきた。 その間、いろんな患者さんと向き合って、いろんな言葉をかけてもらって。 転職活動では百数十社に応募し続けて。 4人の子どもが産まれて、育って、成長していく姿を毎日見ていて。
人生、なんだかんだいっぱいあったなぁ、と思う。笑
でも同時に、「これからどれくらい続くんだろう」とも思い始めているんです。
体力的なこともそうだし、時間的なこともそう。 親の老い。自分の老い。子どもたちの未来。
中年期というのは、これまでの「積み上げ」と、これからの「減っていくもの」が、ちょうど交差するタイミングなんじゃないかと思うんです。
だからこそ、無意識がざわざわしはじめる。
「まだやれていないことはないか」 「置き去りにしてきたものはないか」
夢というのは、そのざわめきが、眠っている間に映像になって出てきたものなのかもしれない。
あなたは今、人生の「どのあたり」にいると感じていますか?
夢に意味があるとしたら、それはたぶん「問い」だ
さて、正直に言います。
夢には科学的に解釈できることとできないことがあります。 「夢=潜在意識のメッセージ」と言い切るには、根拠が弱い。
そこはぼく、元EBM推進側の人間なので 笑
ただ、夢を見たあとに「なぜこんな夢を見たんだろう」と考え始めるプロセスそのものには、意味があると思っています。
それは夢が「問い」を立てさせてくれるからです。
あの朝、ぼくはこんなことを考えた。
「中学時代の仲間に会いたいと思っているのか?」 「過去の自分を懐かしんでいるのか?」 「今の自分に、なにか欠けているものがあるのか?」
これらの問いを、夢がなければ立てていなかったと思う。
忙しい日常の中で、こういう問いを自分に向ける時間って、なかなか取れないですよね。
でも夢は、問答無用に、朝イチでそれをぶつけてくる。笑
だとしたら、不思議な夢を見たときというのは、ちょっとだけ立ち止まって自分に問い返す、いいきっかけなのかもしれません。
あなたが最近見た夢で、何か気になっているものはありますか?
「会えないまま終わる」より、「会いに行く」方を選びたい
話を最初に戻します。
あの朝の、「もう会えないまま人生が終わるのかな」という問いに、今のぼくなりの答えを出すとすれば。
会いに行けばいい。
それだけです。
中学の同級生に連絡を取ることだってできる。 SNSの時代、意外とすぐ見つかったりするものです。笑
でも、それ以上に大切なのは。
「あの頃の、何かを怖れていなかった自分」に、いまの自分が少しでも近づき続けること。
ぼくが115社に応募し続けたのも、今こうしてブログを書いているのも、突き詰めればそういうことなのかもしれないと思っています。
ぼくの座右の銘は「刺激があるから人生は愉しい」です。
変化し続けること、新しい問いを立て続けること。 それがぼくにとっての、「あの頃の自分」に会いに行き続けることなのかもしれない。
夢は答えをくれないかもしれない。 でも夢は、問いをくれる。
あなたも、不思議な夢を見たとき、少しだけ「なぜこの夢を見たんだろう」と立ち止まってみてください。
そこに、今の自分が気づいていない問いが、隠れているかもしれないから。
