連載「どうせ無理」をほぐす 第1回


ある病院の、診療部門会議でのことです。

その月の実績報告がひととおり終わったあと、同席していた事務長さんがこう言いました。

「まずは、職員の意識改革からですね」

会議室にいた師長さんは、何も言いませんでした。ノートに何かを書くでもなく、うなずくでもなく、ただ黙っていた。ぼくは、その沈黙のほうが気になったんです。

あとで廊下で立ち話をしたとき、その師長さんはこう言いました。

「意識、去年も変えろって言われました」

※このエピソードは、いくつかの実体験をもとに再構成した仮のものです。特定の病院・特定の個人の話ではありません。


「うちみたいな病院じゃ、何をやっても無理ですよ」

中小病院に入らせてもらうと、ほぼ必ずこの言葉に出会います。言い方はいろいろです。「人がいないので」「うちは急性期じゃないので」「大学から先生が来なくなったので」。でも中身は同じなんですよね。

どうせ、当院では無理だ。

そして経営側は、これを「後ろ向きな職員の意識の問題」として扱おうとします。研修を入れる。理念を唱和する。意識改革を号令する。

ぼくは、この扱い方そのものが間違っていると思っています。

理由はシンプルで、その悲観は、たぶん事実として正しいからです。

まず、数字を見てください

2024年6月期の調査では、医業利益が赤字の病院は71.7%でした。前年同月の67.2%から4.5ポイント悪化しています。経常利益ベースでも63.8%が赤字。日本病院会・全日本病院協会・日本医療法人協会の共同調査です。

四病院団体協議会が2025年11月に公表した病院経営定期調査では、2024年度通年の医業赤字病院は74.6%。前年度の70.8%からさらに増えています。4分の3です。

民間の調査でも同じ絵が出ています。帝国データバンクの2024年度調査では、医療法人約900法人のうち営業赤字が61.0%、これは過去20年で最悪の水準でした。営業利益率の平均は△1.76%。

ここに、2024年4月から始まった医師の働き方改革が重なります。時間外労働の上限規制で、大学病院や大規模病院は自院の医師を守るために動く。その結果どうなるか。

厚生労働省が2024年12月時点で実施した施行後状況調査(回答5,653医療機関)では、300施設で派遣医師の引き揚げがあり、82施設が診療体制の縮小に至っています。 うち15施設は「地域医療に影響が出る」と回答しました。

全体から見れば数パーセントです。でも、引き揚げられる側に立ってみてください。「うちは大丈夫だろうか」と考えたことのない中小病院の院長は、たぶんいないんじゃないでしょうか。

診療報酬改定、物価高、人件費上昇、人員配置基準、医師偏在、地域医療構想による病床再編。中小病院は、これらすべての影響を最も強く受ける位置にいます。

さて、質問です。

「うちみたいな病院じゃ無理」と言っている職員さんは、間違っているでしょうか。

ぼくには、そうは思えないんです。彼ら彼女らは、目の前で起きていることを、かなり正確に読んでいる。

「意識改革」がいちばん効かない理由

ここで、多くの経営本や研修が持ち出すのが「マインドセット」です。

キャロル・ドゥエックというスタンフォードの心理学者が提唱した理論で、能力を固定的なものと見る「フィックスドマインドセット」と、伸ばせるものと見る「グロースマインドセット」を対比させます。日本でも『マインドセット「やればできる!」の研究』として広く読まれています。

「職員の固定的な思い込みを、成長志向に変えましょう」——きれいな話です。

ただ、ぼくは薬剤師として長くエビデンスを扱ってきた人間なので、この手の話は必ず一次資料に当たる癖があります。当たってみて、正直かなり驚きました。

この理論、実証的にはかなり分が悪いんです。

ここから少し数字が出てくるので、先に2つだけ用語の説明をさせてください。

r(相関係数) は、2つのものがどれくらい連動しているかを表す数字です。0なら無関係、1なら完全に一致。r=0.10は「ほぼ無関係」に限りなく近い水準です。ちなみにrを2乗すると「どのくらい説明できるか」の割合になるので、0.10なら約1%ということになります。

d(効果量) は、その介入にどれくらいの効き目があったかを表す数字です。慣例として0.2で「小さい」、0.5で「中くらい」、0.8で「大きい」とされます。

薬でイメージするなら、rは「服薬量と改善度がどれだけ連動しているか」、dは「プラセボと比べてどれだけ差がついたか」に近いです。

さて、本題です。

2018年に Psychological Science に載ったメタ分析(Sisk ら、36万人超のデータ)では、マインドセットと学業成績の相関はr≈0.10。成績のばらつきの、約1%しか説明できません。 介入研究のほうも平均効果はd≈0.08。「小さい」の基準にすら届いていない、ほぼ誤差の範囲です。

イギリスでは、教育基金財団(EEF)が101校・約5,000人の児童を対象に、最高水準の設計でランダム化比較試験をやりました。結果は、算数d=−0.01、読解d=0.00、文法d=0.00。きれいにゼロです。

もちろん擁護側の研究もあります。2019年に Nature に載った全米規模のRCT(約12,500人)では、効果が確認されました。ただし成績下位層に限定され、効果量はGPAで0.10グレードポイント。

GPAというのは米国の成績評価で、A=4.0、B=3.0、C=2.0……という4点満点の平均値です。つまり0.10というのは、Bの生徒がAに上がる幅の、10分の1。5段階評価でいえば「3.0が3.1になった」くらいの変化なんですよね。

しかも「周囲の生徒の空気が介入と噛み合っている学校でだけ持続した」という条件付きです。成績上位層には効果なし。

2023年の Psychological Bulletin のメタ分析では、さらに厳しい指摘が出ました。研究者に金銭的利益がある研究ほど良い結果を報告し、質の高い研究ほど効果が消える。 出版バイアスも確認されています。

ここで大事なのは、これが子ども・学業という、この理論がいちばん得意な土俵での成績だということです。

大人の、職場の、それも組織文化を変える介入となると、質の高い大規模試験はほぼ存在しません。

つまり「意識改革」という手法は、いちばん検証されている領域ですら効果が小さく、あなたが使おうとしている領域では、そもそも検証すらされていない。

それでもなお、職員の「意識改革」から始めますか?

悲観を否定すると、何が起きるか

もうひとつ、見落とされがちな話をします。

心理学に「抑うつリアリズム」という現象があります。落ち込んでいる人のほうが、状況を正確に判断することがある、という研究です。楽観的な人のほうが、自分に都合よく現実を歪めている。

中小病院の職員さんの「どうせ無理」も、この構造を含んでいます。診療報酬は自分たちで変えられない。配置基準も変えられない。医師の派遣が止まるかどうかも決められない。制御できないことを、制御できないと学習した結果なんですよね。

その状態にある人に向かって、「それは思い込みだ」「意識を変えろ」と言うとどうなるか。

次から、黙るようになります。

自分の見ている現実を否定された人は、もうその現実を口に出さない。会議で発言しなくなる。提案を出さなくなる。インシデントの報告も減る。そして経営側は「うちの職員は当事者意識がない」と嘆く。

意識改革の号令が、沈黙を作っているんです。

ここに、この連載の核心があります。「どうせ無理」という空気は、現場の性格の問題ではなく、多くの場合、組織が長い時間をかけて作り上げた学習の産物です。

では、誰が作ったのか。

その話は、次回にします。たぶん、あまり気持ちのいい話にはなりません。

今週、やってみてほしいこと

ひとつだけ、宿題を出させてください。所要時間は15分です。

紙を1枚用意して、真ん中に線を引いてください。

左側に「当院が変えられないこと」を書き出します。診療報酬。人員配置基準。地域の人口。大学からの医師派遣。競合病院の存在。書けるだけ書いてください。

右側に「それでも当院が変えられること」を書きます。

やってみると、たぶん左側のほうが早く埋まります。そして右側でしばらく手が止まる。その手が止まっている時間こそが、あなたの病院の現場が毎日感じているものです。

それから、もうひとつ。

次の会議で「意識改革」という言葉を使うのを、いったんやめてみてください。

代わりに何を言えばいいのか。それを、この連載で一緒に考えていきたいと思っています。


次回:「無力感を作っているのは、たぶんあなたです——『前例がない』『予算がない』の累積効果」

参考文献

国内調査

マインドセット理論とその検証

悲観の正確さについて

  • Alloy, L. B., & Abramson, L. Y. (1979). Judgment of contingency in depressed and nondepressed students: Sadder but wiser? Journal of Experimental Psychology: General, 108(4), 441-485.  https://doi.org/10.1037/0096-3445.108.4.441