ある事象について,賛成か反対か,その是非を議論する場面があったとします.
もしここで,科学的な思考ができる人がいたらどう応えるでしょうか.
そんなことについてつらつらと思考します.
前提なく問いを立て,
事実を中立的な目で見つめ,
現時点での暫定的な判断を下す.
前置きとして,
ここでは科学的な思考ができる人を,
語弊を恐れず「専門家」と呼称します.あしからず.
そもそも専門家は先に結論を持たない
多くの人が誤解していると自分は思うんですが,ある事柄に対して,
「賛成」とか「反対」とか,
専門家はそもそもそんな態度はとらないんです.
そういった,持論とか結論とかを一切持たないのが,
専門家がまず身につけるべき心構えです.
なぜそんなことが必要かというと,持論や結論を持ってしまうと,その結論に対して都合の良い結果やデータだけを選り好みしてしまう恐れがあるからです.
これを「確証バイアス」といって,有名なのが夢分析のジークムント・フロイト医師でしょうか.
彼は,無意識という分野を発見した点においては素晴らしい人かと自分は思います.
ただし,精神分析においては自分の持論があまりに強すぎたのか,
他者の意見に全く耳を貸さず,時には自分の理論に当てはまらない患者のカルテを改竄してしまったという逸話もあるほどです.
この賛成 or 反対といった,「結論ファースト」の思考方法はかなり厄介です.
普段から相当に気をつけていないと,容易に自分にとって都合の良い事例しか受け入れず,よって専門家の思考とはどんどんかけ離れてしまいます.
繰り返します.何か物事についてあれこれと考える,
特に「賛成 or 反対」や「良い or 悪い」といった判断をしそうになってしまった時は,
まず自分の中にある持論や結論,もしくは判断の大元になっている前提や大事だと思っている物事について,いちどは疑って見ることです.
自分がそう考える前提は本当に正しいのか?妥当なのか,と.
大事なのは問いを立てて,中立的に事実を集めること
では,どんなふうに考えるのが科学的なのでしょうか.
ここでは「ある病気を予防するための仮想のワクチン」を例にとって,話を進めてゆきましょう.
まず,「ワクチンが病気を本当に防ぐことができるのか?」という「問い」を立てるんです.
え?ワクチンが効くなんて当たり前じゃん!
はぁ?ワクチンなんて効かないんだからあたり前じゃん!
と思ってしまったのなら要注意,それがいわゆる思い込みや「あなたの中の前提・結論・持論」です.
さて,問いを立てることができたのなら,次は事実の確認です.ここでは科学的な思考を目指して,原著論文にチャレンジしたとします.
まぁ,実際のところ原著論文の多くは英語で書かれていますが,
最近はウェブやアプリの翻訳機能が優れており,英語のまま読まなくても大半は済んでしまうのですがそれはさておき.
すると,ある報告ではワクチンが当該疾患を予防できると複数あります.
しかし,ある報告ではワクチンが当該疾患を予防できなかった複数とあります.こっちはやや少なめだとします.
ここで大事なのは,結果の有無によらず,きちんと報告を集め続けることです.
自分の中の前提や結論で事実の取捨選択をしないように気をつけましょう.
ここまで来て初めて,「暫定的な」結論を下す
…さて,ここまで思考と事実確認をして言えることはなんでしょう?
それは,
「このワクチンは現段階ではある疾患の発症を予防できそうだ」
ということです.
えぇなんだそれだけかよと思われるかもしれませんが,科学は万能じゃあありません.
というより,問いを見直し続けてることで新しい事実が見出され,
その事実を積み重ねることでまた新しい「暫定的な結論」が下されるのです.
より新しい事実に誠実に.それが科学的に思考であり続けること
事実のチェック,検証とでも言いましょうか,は一度だけではなく継続的に行う必要があります.
もし今後,ワクチンが効果がなかったという報告が増えた,
もしくはワクチンよりももっと効果的な予防方法があったとしましょう.
そうしたならば,専門家こそ真っ先に掌を返して新しい事実や方法に乗り換えます.
これまでの功績や,過去の栄光,後ろめたさ,「今までこれでやってきたじゃないか!」なんていう躊躇なんぞ全くなく,です.
それが,事実に誠実であることです.
それが,科学的であることです.
決して,根拠のない思い込みや自分の勝手な願望などで目が曇らないように.
前提なく問いを立て,
事実を中立的な目で見つめ,
現時点での暫定的な判断を下す.
こういった思考方法が,
いわゆる科学的な,専門家のもつ姿勢なんじゃないでしょうか.
今日はここまで.
それでは▽